修理する権利

  1. 修理する権利
    アメリカ 2012年
    アメリカのマサチューセッツ州で「自動車所有者の修理する権利法」が制定された。
    2013年7月 The Repair Association は Digital Right to Repair Coalitionとして発足した。
    2017年
    欧州議会において、欧州委員会による法規制を求める非拘束的決議。
    2020年11月 欧州議会において、「修理する権利」フランスの緑の党からの提案によって採択。

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  1. 修理する権利とモノをつくること
    デザイン行為は人類が石器をつくるときから始まりましたが、デザインだけするデザイナーは産業革命以降に生まれた職業です。なぜか?工場が休みなく作り続けるためには、前よりも魅力的なモノを作って、既に買ったモノを利用者に捨ててもらわなくては困るからです。修理して長く使われたら新商品は売れません。ヒット商品をデザインすということは、たくさんのまだ使えるモノを捨てさせている可能性が高いです。
    そうやって考えると「ファッション」が果たす役割が見えてきます。時代遅れを演出して「捨てさせるための装置」ではないですか?それが流行の実態ではないでしょうか。新聞も雑誌も有料ですが彼らの主たる収入源は我々の購読料ではなくて紙面にあふれる広告収入です。テレビもYouTubeもFacebookも無料で利用できるのはスポンサーからの広告収入で成り立っていて、スポンサーはそこで自社の商品を宣伝し販売を促進します。新商品を買ってもらい、今持っているモノを捨てさせるために。
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    大量生産 ⇨ 大量消費 ⇨ 大量廃棄
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    大量生産に関わるデザイナーは、この仕組みをより加速させるための役割を与えられています。デザイナーは「人々の物欲の水先案内人」です。その行き先はこのままでは人類の終りかもしれません。「修理するよりこの新製品を買った方がお得ですよ」と、世界中の店員さんの常套句に乗せて、お得感を納得させるに足る新商品をデザインすることがデザイナーの仕事です。結果として、次から次へと使い古したモノをわたしたちは窓から捨て続けて(「消費」しても廃棄したモノは決して消えません)、気がつけば快適なモダンリビングの窓の外は投げ捨てられたゴミの山脈です。飽くことない生産活動で変調を来した気候のために、度々巨大台風や森林火災、はたまた洪水や日照りが襲う今があります。工業デザインは、地獄への道を舗装していないでしょうか?
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  2. 大量生産 ⇨ 大量消費 ⇨ 大量廃棄
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  3. 大量生産が始まる前、人々はモノを持てる一握りの人と、モノを持てない大多数に分かれていました。工業生産はその断絶を革命的に打ち破り、物質的豊かさを多くの人々が享受することを可能にしました。それは画期的で素晴らしいことでした。紆余曲折はあったにせよ、モノだけでなく社会を民主化する大きな原動力にもなりました。
    しかし、わたしたちはやがて持てることに慣れ、更に貪欲になりました。そして際限なく増産することで、いずれ破綻が来ることは誰もが予想していました。国際的な研究・提言機関ローマ・クラブが「成長の限界」を発表したのは1972年です。みんな資源を使い尽くして、この一方通行の仕組みは終わると予想していましたが、その前に気候が狂い始めたのは予想外でした。Sustainable: 持続可能な、と曖昧な表現ではなく、永続的な自然界の営みのすべてがそうであるように、「循環」させなければ持続性は実現できません。
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    適正量生産 ⇨ 購入 ⇨ 使用 ⇨ 手入れ ⇨ 使用 ⇨ 手入れ ⇨ 使用 ⇨ 手入れ ⇨ 使用
    ⇧ ⇩ 再資源 ⇦ 分解 ⇦ 使用 ⇦ 手入れ ⇦ 使用 ⇦ 部品交換 ⇦ 手入れ ⇦ 使用 ⇦ 修理

    適正廃棄

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    どうすれば、循環が可能なのか?それを考えるのもデザインですね。
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    アメリカでもヨーロッパでも「修理する権利」は市民運動から始まり、そしてどんどん先へ動き出しています。翻って日本では、分解や改造禁止のシールが貼られたり、取扱い説明書で禁止して、これを無視して分解を行うと、メーカー保証が受けられなくなるのが一般的です。
    修理の問題は実は工業製品だけにとどまりません。一万年以上前に作られた「土器」がゴミの元祖としていまだに出土する以上、これから、欧米で始まった「修理する権利」は必ずあらゆる製品に広がります。理想をいえばあらゆるモノが循環の輪の内側にあることが最良ですが、それが叶わない時には、それが十分に有用で、製造に過重な負荷がかからず、素材が再生可能であるとか、素晴らしく堅牢で滅多には壊れないとか、壊れたら簡単に修理や再生が可能であるとか…、環境に対する負荷を深く検証して、これからモノをつくる私たちは確かな規範を確立しなくてはいけないはずです。
    デザインする時には、それが捨てられた時にどうするかまでを含めて考える責任がデザイナーにはあるし、それが未来に求められるデザインであることは疑いようがありません。
    こういう、モノとヒトのあり方、関係を再構築するのもデザインではないですか?
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  4. 国際機関の環境と開発に関するこれまでの動き
    ● 1972年 国際連合人間環境会議 (ストックホルム会議)
    人 間 環 境 宣 言
    ● 1972年 ローマクラブ「成長の限界」
    ● 1982年 国連環境計画管理理事会特別会合 (ナイロビ会議)
    ● 1992年 環境と開発に関する国際連合会議 (地球サミット・リオ・デ・ジャネイロ)
    伝説のスピーチ: セヴァーン・スズキ カナダから自主参加した12才
    「直し方を知らないなら、壊すのはもうやめてください」
    ● 1997年 COP3 京都議定書採択 (COP: 気候変動枠組条約締約国会議)
    ● 2000年 国連ミレニアム・サミット (ニューヨーク) MDGs Millennium Development Goals
    ● 2002年 持続可能な開発に関する世界首脳会議(環境開発サミット、ヨハネスブルグ・サミット)
    ● 2012年 国連持続可能な開発会議 (リオ+20) 伝説のスピーチ: ホセ・ムヒカ 第40代ウルグアイ大統領
    「貧乏な人とは、少ししかものを持っていない人ではなく、無限の欲があり、いくらあっても満足しない人のことだ」
    ● 2015年 国連持続可能な開発サミット 持続可能な開発目標 SDGs Sustainable Development Goals
    ● 2019年 国連気候行動サミット (ニューヨーク)
    伝説のスピーチ: グレタ・トゥーンベリ スウェーデンの16歳
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  5. これからモノをつくるということ
    ヒトは他の動物と比べて、取り立てて取り柄のない身体能力しかもっていません。しかし、凡庸なヒトという動物がここまで異常繁殖できたのは、道具をつくり身体能力を拡張して、他の動物たちを凌ぐことができたからです。ヒトは道具なしにこの地球上で長く生きながらえることはできない生物です。
    200万年以上前に原人として石器を使い始めて、最古の土器を作り始めたのは多分1万7・8千年前でしょうか?その土器は原型をとどめて今も出土してくる、つまり、自然の循環を断ち切られた「ゴミ」として出現するようになったと見ることもできます。石器以来人類は実に沢山の道具を作って使ってきました。その道具類は例外なく手入れをして、繕って、時には部材を交換して、その道具が本当に使い物にならなくなって、寿命が尽きるまで使い切ってきました。ずっとずっと、200万年以上そうやってヒトは道具を大切に使って来ました。
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    経済とは「生産と消費」の行為で、経済の発展とともに大量の生産物は、利用者が購買して使用したあと、つまり費やしても消えない消費の成れの果ての道具類は、人間がリサイクルや部材摘出再利用しない限り、これから数百・数千万年以上ゴミとして地中に残るでしょう。仮に10年使ったあと廃棄しても、それからあと百万年はゴミとして残るのです。
    とすれば、使い捨ててゴミを出す代わりに、先ず買ったモノはそれを選んだ者の責任として、大切に手入れをして、壊れたら(できるなら自分で)修理をして、その道具の寿命まで使い切ってあげる義務が本来わたしたちにはあると思うのです。
    ヒトは刺激を求め、その刺激を手に入れると喜び、やがてそれに慣れ、そして飽きて見向きもしなくなる心の動きを持っています。その性向を巧みに利用したのがファッションでしょう。しかし、もう一方で慣れたあと、馴染み、慈しむ使い方もあります。自分で修理すると、モノとの間に確実に意識的な関係が生まれます。うまくすれば愛着が育ち、それは愛用品になります。
    流行の商品を買って、それを自慢できますか?誰でもお金を出せば買えるモノを、どうして自慢できるのでしょう?ファッションがそれを薦めるからです。二十年使い込んだカバンは自慢できませんか?それはお金では手に入りません。二十年という時間をモノと共に過ごして、使い続けなければ手に入らないのです。そこにできたキズはモノと自分の歴史の証ですから、少しみすぼらしくても恥じるよりは誇れる勲章ではないですか?そういうモノこそ自慢できると考えます。
    もちろん、雑誌でそういう価値観を取り上げることはものすごく少ないでしょう。なぜなら、新商品が売れなくなりますから。でも、わたしたちは雑誌のスポンサーの都合に踊らされる必要はどこにもありません。価値観や何をカッコいい、オシャレとするかを先導するのもデザイナーの仕事です。
    経済が生産と消費である以上、その経済を発展させるためには消費サイクルを加速することが求められたわけですが、その仕組みでは地球は破綻しそうです。わたしは経済学者ではないから、どんな仕組みに変えるのか、あるいはまったく新しい仕組みが必要なのかは分かりません。しかしゴミを作らず、モノを修理しながら長く使い続けることが、今より遥かにヒトとモノの豊かな関係をつくれることは知っています。それは産業革命まで何百年もつくり続けてこられた多くの民芸の道具のように。
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    なぜ、生産と消費を加速させてきたか?そうすると利潤が増大するからですね。工業力をつけた国々はそうやって利潤を増大させ、生活が"向上"し先進国となって世界をリードし大きな発言力も持っています。でも、それが今日の気候危機を招いていることは明白です。責任は先進国にあります。こうやって考えると「先進」とは何でしょうね?
    ホセ・ムヒカ大統領は以下のようにも言っています。
    発展は人類に幸福をもたらすものでなくてはなりません。
    これからデザインするわたしたちは、本当に人類の幸福のためのデザインをしなくてはいけないと考えます。
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    わたしが使っている携帯電話は、AppleやSamsungほどスタイリッシュじゃありません。でも、見た目はスタイリッシュじゃなくても、この社会の中でのあり方を考えると、遥かに、大手メーカーの商品より存在の仕方がスタイリッシュだと思います。
    https://ideasforgood.jp/2019/10/23/fairphone3/